僕が人生で初めてこの言葉を人伝てに聞いたのは高校3年生、受験生のときだった。
高校3年生の夏、僕は予備校に通い始めた。
あれから10年経った今でも、なぜかそのシーンを鮮明に覚えている。
英語の町田先生が言った。
『思考は現実になるよ。志望校のキャンパスで自分が過ごしている姿を毎日想像しよう。』
彼の言葉はひねくれていた僕の胸に何故かストンと落ち、自然と僕は大学生活を想像するようになった。
北海道の高校に通っていた田舎臭い僕からすると、志望校だった東京の大学はどこかリアリティーが無かった。
入学案内のパンフレットを何度も見て大学の周辺環境を沢山検索して、自分がそこにいる姿になんとか想像力を膨らませていた。
最後の模試まで、僕の合格可能性はE判定だった。
それでもあまり不安は無かった。
大して期待をしていなかったからかもしれない。
一つだけ不運だったのは、受験のストレスからか、僕の人生の8割以上を捧げていたサッカーと突然かけ離れてしまったからか。
この頃僕は「コリン星蕁麻疹」というおかしな病名の、ちょっとした症状に苦しめられた。
実際はちょっとした、なんてレベルでは無く症状が出てしまうと辛すぎて、冷静に問題文なんて読めないしマークシートを塗り潰すことも困難だった。
東京から合格通知が届いたとき、そうだ、僕は実家でお風呂に入っていた。
あろうことか、僕が合格通知を見る前に母が痺れを切らして勝手に開封した。
合格の2文字を見て、興奮気味に母が脱衣所に侵入してきて「あんたー受かってるよー。東京行って家探さないとねー。」と叫んでいたのをしっかり覚えている。
母が興奮気味だからか僕は妙に冷静になってしまった。
合格通知を持って自分の部屋の扉を閉めてから、僕は小さくガッツポーズをした。
僕はひねくれていたので、高校の先生方からはあまり評判が良くなかった。
僕がいた高校の偏差値からすると、その大学に入学するのはハードルが高かった。
だからE判定続きの僕が合格するとは誰も思っていなかっただろう。
卒業間近の2月、合格の報告をした時の先生方の驚いたリアクションは、今思い出しても爽快だ。
『どうだ、ざまぁ見ろ』
何故町田先生の言葉にはあれほど素直に慣れたのか、今でも不思議だ。
僕にとって、予備校の教壇で多くの受験生を前に指導する彼の姿は、プロフェッショナルで説得力に満ちていた。
受験期の僕にとって誰よりも信頼できる存在だったのかもしれない。
受験も地元で受けたので、僕は合格してから初めて大学のキャンパスに足を踏み入れた。
まだ3月なのに東京は暖かくて、当たり前だけど雪も無い。
想像していた世界が、僕の目の前に現れた。
人生で初めて思考が現実化したときだった。
東京での僕の新生活は、そんな初めての思考現実化体験と共にスタートした。
大学4年間を、僕は無思考に過ごした。
今なら、町田先生が言った言葉の本質がわかる。
4年間の殆どを、今思えば僕は無為に過ごしてしまった。
無思考だったから。
最高に自由で楽しかったけど、一方でどこか不自由さと不便さみたいなものを感じて悶々としていた原因は、僕の無思考にあった。
あれから10年経った。
つい先日、会社員として働く僕に『思考が現実化』する体験が再び訪れた。
僕は27歳にして恥ずかしながら3回目の転職をした。
▼転職歴について詳しくはこちら
僕は新卒から約5年務めた広告会社を辞めた。
元々ブラック業界として有名ではあったが、自殺者やパワハラが相次いだ事実などを受け、異業種への転職を考えた。
以前から僕は副業やパラレルワークなど多様な働き方に興味があった。
自然と、フリーランスの人やパラレルワーカーの情報をSNSでインプットするようになり、僕も収入源を分散する働き方を志向した。
地方ではまだ副業やパラレルワークを推奨している会社が少ない。
そんな中、事業も僕の希望とマッチし副業やパラレルワークを推奨する会社と巡り合った。
地方ではかなり稀だ。
僕が転職を決めた会社の福利厚生の一部を挙げて見る。
・リモートワーク導入
効率的な働き方・時間の有効活用を目的に在宅ワーク制度を開始。育児や介護など、やむをえず通常勤務が出来ない従業員でも活躍の場が得られるよう、社内SNSや最新のTV会議システムを導入するなどICTツールの活用も積極的に行う。
・副業、兼業制度の導入
個人のスキルアップや幅広い知見・人脈の形成を目的に、いくつかのルールの中で従業員の副業や兼業を認める。一人ひとりの意思と行動の蓄積が結果として組織にも還元され、会社全体が成長していく。そんなサイクルが生まれることを期待。
・パラレルキャリアの受け入れ
ボランティア活動への参加や、大学や専門学校への通学・趣味に関する活動などを奨励する制度。業務に支障が無いと認められた場合には時間短縮等の配慮もなされる。副業・兼業制度と同様、従業員一人ひとりの幅広い知識や経験の獲得を期待。
僕は、広告代理店の体質が嫌いだった。
退職するときは、色んなことを言われた。
僕は無思考に、広告業界に入ったかもしれない。
勿論、たくさんの学びがあったので広告業に携わったことはとても良かったと思っている。
社会人になってから僕は自分の価値観を更新し続けてきた。
10年経って、予備校の先生が言っていた言葉が頭をよぎった。
先生が言っていたことの本質が今やっとわかった気がする。
10年かかったけど、点が線になった気がしてちょっと嬉しい。
インプットとアウトプットが結実する感覚。
これが最後の転職になるか、これからどんなキャリアになるかわからないけど。
これからも思考の現実化体験を積み重ねていきたい。
そのためには、自分の気持ちに正直でいる。
インプットで「点」を収集し、アウトプットで「線」にする。
そんな体験をこれからも続けていきたい。
思考はきっと現実化する。