アラサーの独り言

餃子とビールとJEEPを愛する平成生まれの元広告マン、現海外事業コンサルタントの雑記。

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残業120時間以上が3ヶ月続いた結果。

冬の北海道は、雪の影響で早めに通勤をしなければいけない。

幸い僕は地下鉄で通勤するので。遅延して遅刻することはほぼ無い。

 

JRやバスは、遅延するのが冬は当たり前だから、北海道の通勤は大変だ。

 

朝は9時前に出社。

定時の始業は9時30分。

毎日9時30分から担当クライアントのチーム会議があるので、その資料作りも兼ねて30分前には出社するのが日課。

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僕の担当クライアントは、b2cの某大手不動産会社。

 

あらゆる領域でデジタル化が進むこの時代でも、不動産広告、とりわけ地方は折込チラシがメインの広告媒体だ。

 

広告には、当然入稿の〆切がある。

経常的な仕事の1つに、毎週折込チラシの制作業務が5本程度あった。

 

広告会社から印刷会社にチラシの入稿データを送ることを下版と呼ぶ。

基本的に、経常的なチラシは毎週火曜日が下版日だった。

 

基本的に、この下版日が守られることは稀だ。

基本的にと言いつつ基本が守られることなどほとんど無かった、もはや基本とは何なのか。

 

良くも悪くもフレキシブルで相当懐が深かった担当の印刷会社は、いつも遅くまで下版を待ってもらっていた。

 

この経常業務に加えて、新規のプロモーションや制作物が毎日のように舞い込んできて、ありがたいことに仕事で溢れる日々。

 

土日はイベント業務が入ることが多く、イベントを宣伝する広告物の制作から会場の図面をひいて当日は現場対応まで。

クライアントのスタッフが足りないときは、時には僕も接客したりもした。

毎日広告に触れているから、当たり障りない内容ならお客さんとの商談も気付いたらできるようになっていた。

 

帰宅は22時を過ぎるのが殆どだった。

 

下版しても下版しても、また次の広告がやってくる。

やっとの思いで1つのイベントを終えると、また次のイベント準備がすぐに始まる。

 

 

とある休日の土曜日の朝。

朝8時に会社の携帯が鳴った。

 

僕は朝起きるのが比較的得意で、電話が鳴れば気付いてすぐに出ることも少なくなかった。

 

その日も、電話が鳴ってすぐに目覚めた。

携帯を見ると、クライアントからだった。

 

こういうときに鳴る電話は、トラブルとか良くない内容のことが多い。

ベッドに寝たまま、すぐに近くに置いてある携帯を取った。

 

電話の内容は、イベント会場費の領収書の宛名確認で、うちの会社が前株か後株かの確認電話だった。

クライアントは、僕が土日休みだということも知っている、もう長い付き合いの担当者だった。

 

僕が当時いた会社は、勿論ホームページがあった。

ググれば、前株か後株かはすぐにわかる。

 

TPOを誤ると、電話は相手の時間とゆとりを奪う。

当時はそんなことを気にしたり、是正するために行動を起こす時間も気力も余裕も無かった。

 

 

その頃、僕の残業時間は100時間を超えていた。

当時、僕と同じくらいか、それ以上に働いていた50歳の先輩が同じ部にいた。

 

50歳の先輩は、3ヶ月間一度も休みが無かったことがある。

平日は深夜まで働き、土日はイベントの現場で対応。

なぜ、会社がストップをかけれなかったのか、今思えば不思議だけど、そんな働き方は実際まかり通っていた。

 

ある日、会社で目眩がして50歳の先輩が倒れた。

すぐに入院した。

診断結果は、メニエール病だった。

原因は1つしかない。