年明け早々に西武そごうの新聞広告が話題になった。
あの広告を見て、僕が抱く印象は「全くピンとこない」だ。
ここでいう「女」ってどこの誰?主語が不明瞭だったり、ボディーコピーの文脈がチグハグだったり。
内容についてはいろんな方が言及しているので、なるほどなぁと思いながら年明けこの広告をボーッと見てました。
僕は広告の内容そのものよりも、この広告の制作背景にある、百貨店と広告代理店の旧態依然とした関係性とパワーバランスが、チグハグで世の中の感覚と乖離した“鈍感な広告”を生む理由のように思える。
女性の差別というセンシティブな内容の広告を、そもそも西武鉄道グループは40年前から出稿している。
これ。
40年前から、言ってることは殆ど変わってないです。
デザインが今っぽく?なっただけです。
この40年前から変わらないメッセージが、僕には百貨店と広告代理店の間で長く続いた、古くてアップデートしない組織と相互の関係性の象徴に見える。
百貨店の広告は、グループの広告会社がディレクションするケースが非常に多いでしょう。
この広告が実際どうかは知らないけど、制作背景をネガティブに想像させられる紙面だったと僕は感じる。
「40年前と同じメッセージを使って、女性の顔面にパイ被せてみた」みたいな。
そんな短絡的で内輪で満足する薄っぺらいメッセージにしか、僕には見えない気がするんですよ。
広告の制作背景にあらゆる事情が存在するのは広告代理店にいた身として僕も実感している。
だからこそ惜しい。
広告代理店には凄く優秀な人が多い。
大手であれば、そのスケールメリットを生かして携わることができる仕事も一個人としてはたくさんあるでしょう。(一方で大手代理店は役割が非常に細分化されているので、世に出る成果物と自分が携わった仕事の距離が遠い場合も多いと思うが)
だけど、その古い体質や慣習のせいで損をしている人や、損をしている企業のクリエイディブがたくさんあるでしょう。
そういう従来の古い代理店と企業の体制から抜け出して、価値とパワーを発揮する人が2019年はもっと出てくるのではないでしょうか。
電通や博報堂を退職して、形を変えて広告を表現する人がもっと増える。
なんだか世の中も広告も少し足踏みしている気がするけど、そんな人が増えると世の中がちょっとずつ面白くなる気がしています。
「西武・そごう」の「女の時代、なんていらない?」に大きな違和感が残るのはなぜか。どうしてモヤモヤするのだろう、というのを書いてみました。結論を言えば「広告より行動。」の原則がないからだと思っております。
— 牧野圭太@文鳥社/カラス/エードット (@MAKINO1121) 2019年1月2日
文鳥社とカラスの社長のnote | https://t.co/zxvfg0U8qS
私はこれを見た時に、現実としての生きづらさは全く解消されていないし、「私の時代」が来ることなんて想像出来ないな...って胸が苦しくなったんだけど(希望ではなく絶望を感じた)賛否両論あるのは良い広告の条件だよね。人の心を動かさない広告よりずっと意味がある。https://t.co/MHvvvzVSYB
— はあちゅう (@ha_chu) 2019年1月2日