フリージャーナリストの安田純平さんが3年以上拘束されたシリアから解放され、世間を賑わせている。
解放され一人の命が救われたことに安堵の声が拡がる一方で、自己責任論の追及にも多くの批判が集まっている。
ダルビッシュ有や本田圭佑、ZOZOの前澤社長もこの件に関してTwitterで発言し賛否両論、議論を生んでいる。
この件について、僕は政治的な背景について詳しくないので、何が正解だったのか、どんな対応が望ましかったのかについてはわからない。
ただ一方で、自己責任論について部外者が追及することについては、全く生産性が無い不毛な議論だと思っている。
自己責任の追及は身近な人がすれば良い。
メディアを筆頭に批判が過熱して、必要以上に責められたら、それはもうただのイジメでしょう。
この件に限らず、あらゆることがそう。
日大アメフト部の悪質タックルの事件もそうだ。
当然、あの事件にもタックルを犯した当事者に自己責任はある。
そして、あの行為自体は本当に悪質で、決して許されるべき行為ではない。酌量の余地も無い。
スポーツの土俵で、絶対行われてはいけない行為なのは間違いない。
ただ、自己責任の追及はメディアを通じて事実を知った部外者が必要以上にするべきでは無い。
あの行為をそもそもできないようにする仕組みを作ることについて議論するのが大事なのであって、個人の責任をひたすらフォーカスするのは不毛です。
また同じ過ちが起きないようにするための話を、部外者はすれば良い。
今年起こったあらゆる問題の殆どが、当事者の自己責任以上に組織や仕組みに問題がある。
相撲協会、日本ボクシング連盟、日本大学、レスリング協会。
明らかに当事者よりも、組織の間違った在り方が原因で発生した問題が、たまたま顕在化しただけ。
今回に限らず、昔からずっと行われていたことが、SNSで個人が情報を発信・拡散できるようになり、それを後追いでメディアが報じるようになった。
今までは悪いことをしても既得権力が働いて世の中に知られていなかった情報が、悪いことをすると簡単に世間にバレてしまう世の中になった。
それを知った世間は、個人の責任追求よりも組織や悪い風習、文化の是正の方に目を向けないと。
メディアの肩車に乗って、さらに個人に追い討ちをかけるのは本当ナンセンスです。
ジャーナリストが危険な地に赴いて、彼が身を呈したことで知ることができる状況がある一方で、彼らの行動が今回のような国を巻き込む問題に発展し、テロリストの活動を助長することに繋がるリスクもある。
今後ジャーナリストがこういうリスクを犯すことができないような方法、仕組みを考えるのが真っ当だと思う。
そもそも、国を巻き込んで多くの人に迷惑をかけてしまうリスクを、個人の判断で犯すことができてしまうことに問題の本質があるのではないだろうか。