家と会社の往復プラスα
多くの人が、家と会社の往復という生活をしていると思う。
特に、残業が多かったりすると、平日仕事と通勤以外の時間をつくるのは中々難しい。
僕は、今の時代キャリアを一社で終えるのは最早珍しいから転職もどんどんしちゃえと考えている。
これは、一つの会社に長くいること自体が悪いというより、一つのカルチャーだけにインプットが偏り、外の世界や知識を得ない極めて狭小な世界に拘泥していくことを危惧している。
SNSは気軽に外の世界の情報を得ることができる。
自分が普段接しない人の言葉、考え方から得ることは大きい。
家と会社の往復でも、情報へのアクセスはいつでもできる。
自分の外側の世界と触れ合うようにすれば、思考の老化を防ぐことができる。
お金に余裕があれば、いや無くても良質なインプットにはお金をかけてアウトプットすればいずれかけたお金は新たな大きな価値を形成する。
有料のオンラインサロンとかコミュニティとかな入ると良いかもしれないですね。
既定路線から脱却し、人生の不確定性を高める
新しいものに触れないと、大人は本当に思考が腐って気づいたら老害と呼ばれる古い人になってしまう。
新しい情報に触れてスポンジみたく変化できる人は、人生の不確定性を毎日高めることができる。
既定路線から脱却し、自分の人生に不確定なエッセンスを取り入れまくることで、どんどん変化し成長することができる。
そういう意味で、大手の会社に入って満足する時代は終焉した。
これから、三陽商会のリストラのような事例が世の中でたくさん起こる。
会社に所属していることが、一瞬で無力化する可能性は誰にでもある。
これは全ての会社員に起こりうる展開だ。
同じことが起こったとき、自分だったらどうするか、あたふたするか、一つの会社という居場所がなくなっても他もあるから全く問題ないようにしておくか。
三陽商会のリストラは全ての会社員にとって、決して他人事ではない。
とにかく行動
意識的に自分が普段触れている世界の外側の情報に触れるために、SNSはめちゃくちゃ良いツールだ。
情報に触れることと、インプットした情報を自分なりに咀嚼してアウトプットすることは呼吸のように繰り返す。
すると、気づいたら自分の価値観はどんどんアップデートし、周りの環境も変わっていく。
転職も環境を変えるアクションの一つ。
僕は20代で3度の転職を経験した。
周りの大人からすると、ネガティブに捉える人もいていろんなことを言われた。
そんなことを言ってくる人に限ってろくなアドバイスもなければ、彼らのキャリアそのものがリスペクトできるものではない。
そもそも、自分の過去をひたすら正当化し引き合いに出しながら、他人、特に自分より年下を説教する人といるのは時間の無駄。
日本人は他人に対して関心が強すぎ
KYなんて言葉が流行ってだいぶ久しい。
日本人は、他人への関心が強すぎるから、自分の気持ちを殺してアクションを控えたり、自分の意思と行動のプロセスに他人の目が介在する割合が高すぎる。
他人の目ほどどうでも良いものはない。
こんなことを言うと傍若無人だとか色々言われるのだけど、マナーを守らなかったり横柄に振る舞うわけではない。
電車の優先席に座っている人は、目の前に妊婦や老人が現れると急に目を瞑り眠くなる人がたくさんいる。
そんな自分都合な態度の裏側には、他人の目が常にある。
だから、寝たフリをする。
東京にいるとき、そんな光景をよく目にした。
寝たふりじゃ済まされない行為だよなー。
ちなみに、北海道には優先席は無くて専用席だから空いてても座らない。
全然違う話になってしまったけど、例えば転職をするときも周りの目なんてそんな気にしなくて本当に良い。
みんな野次馬みたいなもんでいろいろ言ってくるかもしれないけど、そういう声のほとんどはノイズだから、自分の感覚とかやりたいことをとにかく最優先して行動した方が良いと思う。
ぼくのりりっくのぼうよみ音楽活動終了と人の幸せについて
資本主義の世界での成功と、人の幸せとは?
先日、ぼくのりりっくのぼうよみさんが音楽活動を2019年初頭に終了することを発表したらしい。
ちなみに僕は、ぼくのりりっくのぼうよみ氏の曲を聴いたことがほぼ無い。
けど、若くしてすごい才能を持った人だというのはさすがに伝わる。
これだけのニュースになるのだから。
彼が自由になりたくて音楽活動を辞める理由を見ると、資本主義でお金儲けに成功することと、人の満足や幸福度はリンクしないのだとわかる。
人の幸せとかはもっと別のところにあるのだ。
昔は、たくさんお金を稼いで身につけるものや住んでいる所が価値の象徴で、個人のアイデンティティだったから。
高層マンションに住む、高い車に乗る、高い時計を付けるとか。
今は物質的に何かを手に入れることから、どういう環境に所属するかとか誰と関わるか、いかに好きなことをやるかとか、共感のポイントが物から体験やストーリーになっている。
会社員の場合は、会社名が肩書きになる時代に終わりがくる。
会社それ自体の価値はもう大したことないのだな。