大手広告代理店を4ヶ月で辞める理由。なぜ今辞めたのか
僕は約5年間広告業界にいましたが、27歳のタイミングで大手の広告代理店を退職することにしました。
これまで僕は、広告会社を3社経験しました。
◾️広告媒体社で営業
◾️広告プロダクションでアカウントプランナー
◾️大手広告代理店で営業(入社4ヶ月で退職)
いずれの会社でも、僕は決して優秀な広告マンでは無かった。
お世辞にも、僕のことを優秀と言う人は100%いないだろうし、突出したスキルやコミュニケーション能力をもっていたわけでもない。
4ヶ月での退職は、会社としては当然ネガティヴです。あらゆる人、これまで関係を持った方達にとっては迷惑でしょう。(大概自分が思うほど、周りは自分のことなんて気にしていないけど)
ですが、結果的に僕にとってこの4ヶ月の経験は、僕がやりたいこと、目指す方向性を自覚し決意するきっかけとなり、広告業界を退く決断をするに至った貴重な4ヶ月でした。
仕事は憂鬱なもので、辛いことを経験しながら成長していくもの、という考え方を僕は否定しません。
ですが僕は、土日に感じる月曜日の憂鬱度や日々のストレスがある時ピークに達し、自分の許容範囲を超えました。
会社にとっては辞められるのは不都合なので色々と言われました。
会社の中で部署移動するという選択肢もありましたが、僕は辞める方を選びました。
理由は大きく2つ。
・代謝が悪い広告業界という環境から離れ、違う価値観やカルチャーに触れたい。
・会社以外に複数の収入源を作りたい
広告業からは退き、これまでとは異なる会社の文化や価値観に触れてみたいと思っています。
具体的にはまだ何も決まっていません。
会社の規模は拘らず、自分の価値向上に繋がる組織を選びます。
会社だけに収入源を依存しない
最近、フリーランスで活躍するプロブロガーの方々などのブログや記事をよく読みます。
今回の退職に際し、僕は会社の他に収入源をつくることを決意しました。
極論ですが、ストレスフリーな会社に所属しながら、アフター5をブログなどの活動に充てる働き方もいいかなーと思っています。(ストレスの無い環境など無いことは重々承知です。)
会社だけに収入源を依存せず、自分から働き方を作る意識を持つ。
まずは収入源を増やすことに2018年はチャレンジします。
地方で感じた広告会社の現在と未来
媒体社・プロダクション・代理店と異なる3社の環境で、広告を通じ多様なクライアントとの関わり方をしてきた。
アウトプットでいうと、まだまだ経験も知識も20代で未熟なのは否めないが、20代なりに3社を渡り歩き、僕なりに広告会社の今と未来について思うことがあった。
地方の広告代理店のバリューは低下する
僕は地方の広告代理店は、一部の必要とされる会社としての機能と人材を残して、これから市場から淘汰される方向に向かうと思っている。
それくらい、特に大手は組織としての代謝が悪い。
上の立場の人達が居心地良いように形成されているのは、あからさまだろう。
規模が小さくても、新たな価値を創造する未来志向のビジョンを掲げ、そのビジョンを体現する事業を展開する会社に、仕事も人も集まる
博報堂を1年で退職し、NEWPEACEという会社を立ち上げた高木新平氏が展開するビジョンや事業が、これからの地方の「広告会社」のモデルケースの一つになると僕は思っている。
自分の仕事を『VISIONING』と名付け、「社会的イシューから強いビジョンをつくる新しいブランディング」としてやってきたけど、3年経って本当に、公共性の高い未来を描く仕事ばかりが集まってる。組織の指針、社会からの期待の2つの意味でVISIONは重要。広告ほど短期的ではないが、中長期的に機能する
— 高木新平 / NEWPEACE (@Shimpe1) 2018年3月17日
旧来型のビジネススキームが色濃く残る地方の広告業界においても、新たな価値創造が可能なのはこういうビジョンを持つ会社だろう。
従来の広告会社やメディアが無くなる訳ではなく、クライアントやエンドユーザーが求める質の変遷に応じて、地方の広告会社の在り方も変わっていくということ。
そして、短期的な従来の広告ではなく、中長期でクライアントとパートナーして価値観を共有してワークできる会社に市場のニーズかシフトしていくだろう。
例えば、50人以下の企業規模でも、専門性に優れた領域のワークが提供でき、且つクライアントワークと並行して会社のビジョンとリンクする自社事業(コンテンツ)を展開できる会社に今後仕事も人も集まると思う。
空気を売る広告会社だからこそ、価値観をアップデートできる代謝の良い組織であるべきだと僕は思う。