EZO TIMES

餃子とビールとJEEPを愛する平成生まれの元広告マン、現海外事業コンサルタントの雑記。

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『石の上にも3年』いるのは時間の無駄。“平成出身サラリーマン”の働き方。

新卒の時、入社したての4月。


先輩社員に連れられて行った居酒屋があった。

 

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カウンターが数席とテーブル3つ。
風俗の客引きを数回断ったあとに、ススキノの狭い路地にその店はありました。

 

古びた店内だけど初めて行った気がしない、落ち着く場所だった。

先輩社員は、カウンターで寝てしまった。


その日は、店長と二言三言、自己紹介程度の会話をして、深夜に店を出た。

 

先輩は、全く目を覚ます気配がなかったので、ショートメールを送っておいて、店を出た。

 

初任給が出てから、同期との飲み会があった。
研修を終えて皆それぞれの部署に配属されてから、初めて全員が揃っての飲み会だった。

 

皆、この短い期間で体験した出来事を思い思い喋る。
酔いが回ってきて、既に愚痴を言うものもいたなぁ。

 

同期との飲み会が終わってから、僕はあの店に行こうと決めていた。

 

社会人になってから初めての一人飲みだった。

 

店長の人柄に助けられ、お世辞にも第一印象が良いとは言えない僕が、すんなりお店に溶け込むことができた。

 

今では店に行くと、大抵顔見知りのお客さんがいるほどまでに常連化した。

社会人になって、お店との信頼関係が保たれた一人で飲める店があるのは非常に有意義だ。

 

ふらっと一人で行くも良いし、デートの2次会などでも店選びに時間を取らずスマートに立ち寄れる場所があるのは安心する。

 

 

最近、働き方改革が盛んに取り上げられている。

 

会社は人生で多くの時間を過ごす、1つの居場所だ。

 

自宅で過ごすよりも家族と一緒にいるよりも、社員と共有する時間の方が多い。

 

そんな会社という最も長く滞在する居場所にストレスを感じることが如何に不健全か、“過ごす時間”を軸に考えてみるとよくわかる。

石の上で三年過ごすのはこれからは無駄

昭和時代は、石の上にも三年いれば良かった。
なぜなら、年功序列・終身雇用が保証され、企業の名前がアイデンティティになり、会社に所属していることが価値そのものだった。

 

ネットが普及する以前に会社が持っていた“情報”の特権は、今は一般消費者にもオープンになった。
だから、のんべんだらりと会社で過ごすことは大手であっても今はリスクになった。

 

ちょうど大手で今管理職に就く40代後半以降のビジネスパーソンは、平気で石の上にも三年という言葉を使う。

実際に、僕が広告代理店を退職するときも言われた言葉だ。

居場所が1つなのはリスク

広告代理店での仕事は評判通りの業務量で、僕は多くの時間を仕事に投じた。

僕はそれがダメなことだとは決して思わない。

 

例えば働き方改革について残業の議論をするときも、時間的制約では労働時間の根本的解決にはならない。

 

電通が22時に消灯しても労働環境の改善には全く繋がらない。

なぜなら労働時間の長さが苦にならない人もいるし、会社の電話が鳴らない土日に出勤してデスクワークできる方がバランスを取れる人もたくさんいる。

 

時間的制約ではなく、労働環境に寛容性を付与する方が効率が良い。

実際僕も、“労働時間の長さ”については広告代理店に勤めていたときもそれほど苦では無かった。

 

広告代理店を辞めようと思ったとき、多くの時間と自分の居場所を会社に委ねていたことに大きなリスクを感じた。

 

会社以外に収入源をつくろうとすぐに決めた。

 

無思考に会社に居続ければ、3年たっても10年経っても会社は石のままだ。

石のうえにも10年、20年。

 

会社が変化したときに対応できない、柔軟性に乏しい人間になってしまう。

 

会社が時代のニーズに合わせて変化すると都合が悪い人達が、大手企業の管理職にはたくさんいるでしょう。

それはある意味必然でもある。


なぜなら彼らは“昭和出身のサラリーマン”だから。

 

居心地の良い居場所(コミュニティ&収入源)を複数持ってハイブリッドに活動するのが、安心とゆとりを生む“平成出身のサラリーマン”の働き方だと僕は思っている。